ありがとうの箱

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思考の回線がこみあっております

大切な人が苦しんでいる。
この状況こそ、最も自分のつかえなさ・惨めさを感じます。


例えば、大切な人が、激しい頭痛に襲われました。
吐き気も伴い、歩くことはおろか、立ってもいられません。

自分が、その痛みを代わりに受けてあげたいって思いますか?

でもそんなことは実際には無理な話です。

実際に人の痛みをわかろうっ、とするんだけど、どこかで他人事みたいに思ってる部分もあって。もし本当に痛いんだったら、他人がわかるなんて逆に納得いかないだろうし、とか思っちゃう。
このどっかで冷めた部分。

「代わってあげたい」って気持ちのうち、7割くらいは、自分では如何ともし難い、現在状況を打開したいって思惑があるんじゃないかな。


今日は、ちょうど1年前くらいに起きた出来事が、不思議にも繰り返されました。
去年は花火大会の帰り道、今年は渋谷の人ゴミの中でした。

去年よりは、機敏な動きで対処できたかな。
去年が酷すぎたから、比べようもないかも。


何が書きたいんだろ?
つまりね、何の見返りも求めず、心配したり、優しくしたりすることってほんとにあるのかなってこと。

心配したら、その分相手が救われて欲しい。
優しくしたら、それに対して感謝されたい。

というわけで、まっさらな気持ちで人を心配できる、神様みたいな人、募集中です。はい、わけわからん。

いつもにも増して、乱文失礼致しました。。
頭ん中、ぐちゃぐちゃboyです。


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